 ・大同団結
当組合の歴史は、1946年、同志32名で設立した任意団体「伯耆酪農組合」に遡るが、今日の隆盛を極めたのは酪農業界を取り巻く情勢の変化に、酪農民の危機感が芽生えたことを契機として、大同団結の気運が高まった時点からスタートしている。
「生産から販売までを農民の力で」との信念と使命感をもって設立された当組合にあって、大手メーカーがその資本力を武器に、県内酪農家を系列下に置こうとする動きが強まる中で、大手メーカーの系列下で「酪農家の使命ともいえる本物の牛乳を消費者に提供できるのか」「酪農家の利益擁護が図られるのか」等の危機感が高まっていった。
又、「単なる牛乳の集配、販売のままでは時々の需給関係に振り回され、高い生産者乳価は維持できない」との不安が増す中で、県下の酪農家を結集し、自ら牛乳加工場を持ち、付加価値をつけながら需給調整機能を向上させ、高い乳価を確保して組合員に還元することが必要となるとの意識が組合員の間で強まっていった。
一方当時は、加工原料乳生産者補給金(俗に言う不足払法)等をめぐる酪農3法の施行を目前として、乳業界の組織再編・強化が求められる中で、指定生乳生産者団体の指定をめぐって、県内酪農組織を二分した激しい攻防が繰り広げられていた時期でもあった。
そこで、1966年3月、酪農経営に対する危機意識と先見性をもった3組合(伯耆酪農、美保酪農、東部酪農)が合併し、ここに「大山乳業農業協同組会」が誕生することとなった。
この段階における県内シェアは、組合員数で53%(2,600名)、乳量で63%(17,000トン)を占めることとなった。
そして同年、指定生乳生産者団体の指定を受けることとなり、消費者への良質な牛乳の提供を目指して受託販売事業を開始し、組合員一丸となって、牛乳の生産、処理、加工、販売に邁進することとなった。
その後、飼料価格の値上げと低乳価、オイルショック、計画生産時代への突入、大手メーカーとの厳しいシェア争いといった幾多の困難を経る中で「酪農家自らの手で生産し、処理し消費者へ届ける」「組合員のための組合」とする当組合の理念に共感した5地区の組合が、1978年から89年にかけて順次加入、県下酪農家の95%が結集することとなった。
これにより、年間約54,000トンの生乳を処理、加工する全国屈指の酪農専門農協として不動の地位を築いた。
更に、2003年4月、残った1組合との合併が実現し、県下酪農家100%が結集する大同団結は結実した。
・宅配ルートの開発と瓶牛乳へのこだわり
1975年初頭から、大部分の乳業メーカーは1リットル紙容器による量販店販売にシフトする中、当組合は「酪農家自らが生産し製造し、その製品には自らが最終責任を持つ」という理念のもとで、当組合が生き残るためには「安定生産」「安定供給」「安定消費」「安心安全」の4つのキーワードに的確に対応する宅配販売事業を開発、拡充が必要であるとの判断から、組合員一丸となって宅配事業の拡充に努めた。
又、その流通形態では、組合独自に開発した牛乳瓶を使用し、リサイクル可能な瓶流通に力を注いできた。
瓶牛乳による流通量はおよそ50%に達し当組合の主力製品となり、牛乳瓶
の回収率も95%を超え、リサイクルに大きく貢献している。
このように、鮮度、品質にこだわって本物の安心安全な牛乳を提供することで、消費者と生産者が共生することのできるよう宅配を拡充してきた結果、現在では飲用牛乳に占める瓶牛乳の宅配シェアは50%を維持している。
大手量販店との販売競争を避け、消費者を1戸1戸回る独自の販売網による販売力を培ったことで、関西地区を中心に滋賀県から福岡県にかけ11県500店、30万世帯へ良質な牛乳を提供していると同時にこの宅配事業は消費者(高齢者、独居者)に対し、ヘルパー的要素を併せ持つ効果が秘められている。
・生協ルートの開発と消費者交流
県内人口60万人の鳥取県において、牛乳の地場消費には限界があり、当然県外へ向けた販売戦略をとらざるを得ない。
何とか京阪神へ送ることが出来ないかと考えていた。しかし、現在のような交通体系でなく無謀なことだと考える人が多い時代であった。
1960年代、高度経済成長の大量生産・大量消費という時代の中で、消費者から「生産者の顔の見える本物の牛乳、安心安全な牛乳」を求める動きが出てきた。一方、この消費者の要望に対し「生産者自らの手で混ぜもののない本物の牛乳を提供したい」という当組合の思惑が一致し、京都生協との間で牛乳の産直が開始されることとなった。
1970年春、産直商品1号として「CO−OP牛乳」が誕生し、当組合と京都生協を中心に生産者と消費者が提携した産直活動が強化されていった。
産直活動の進展は、生協の伸長とともに他の加工製品(アイスクリーム、菓子、ヨーグルト、シュークリーム等)の取引の拡大をもたらし、工場施設の拡充、増産体系の整備等、当組合の事業発展に深く関わっている。
その後、消費者と生産者との取引関係が強まって行く中で、生協組合員から当組合の牛乳について「いのちのある水」と評されるほど信頼関係が深まり、1970年代のオイルショックを契機とした酪農危機時代には、京都で1,000人の生協組合員を集めた「酪農危機突破CO−OP牛乳を守る組合員集会」が開かれたこと、また、牛乳1本当たり80銭のカンパをいただくなど、消費者から温かい支援が向けられたことは特筆に値する。
そして、産直開始15周年目には牛乳の安定供給や交流会の開催等に関する
「協同組合間協同に関する協定」が締結され、両者は名実ともに強い絆で結ばれることとなった。
牛乳を介して始まった交流は、やがて実際に顔の見える交流、心のふれあえる交流を求める声へと変わり、両者の交流拠点を整備することとなった。
1979年、東部地区の「美歎牧場」を産直交流牧場「コープ美歎牧場」と位置づけ、交流拠点としたのをはじめ、産直20周年目の1990年には、京都生協、当組合で1億円を拠出して「CO−OP牛乳産直交流協会」を設立し、ふれあい研修館、体験学習施設、交流キャンプ場を整備した。今ではこれらの施設を利用した様々な交流が実施され消費者との信頼関係を構築する大きな役割を果たしている。
更に近年は「酪農家の作業を体験して、生産者の苦労や思いに直接触れながら産直について学び、日本の食料生産現場を知るとともに雪印事件、BSEや不正表示など食の安全と信頼が失われている中で、本物の牛乳作りにこだわってきた生産者と直接交流することで、日本の食糧と現状について理解を深め機会とする」ことを目的に、大学生を対象としたファームステイによる酪農体験学習を行う「大山インターシップ」をスタートさせるなど、交流の内容も変化し、参加者からは好評を得ている。
・新たな交流拠点
1998年、大山放牧場の一角に、芝生ひろば、乳製品の体験みるく工房、搾乳体験、レストラン、資料展示室等からなる「大山まきばみるくの里」の運営を開始した。
この施設は、新製品のアンテナショップとして活用する一方、一般消費者にサービスの提供を行うとともに、ふれあいの場、憩いの場、空間を提供し県内外の多くの観光客に喜ばれている。
大山国立公園という風光明媚な場所へ立地していることもあり、今や観光スポットとして周辺の施設ともリンクし県観光産業の一端を担っている。
又、毎年秋には、消費者への感謝をこめて「大山まきば祭り」が企画され、生産者、組合一体となってサービスに努め、参加者から好評を得ているとともに、酪農に対する理解を深める場ともなっている。
・その他
良質牛乳を確保するためのきめ細かな指導と高品質牛乳の開発
乳量確保に向けた牛群検定の実施
改良同志会による乳牛改良の推進
定休型酪農ヘルパーの充実
加工部門の設置による乳価の安定
等々、様々な取り組みを重ねながら着実に今日の「大山乳業農業協同組合」は存立している。
今日までの地道な努力は、単に地域農業の発展に寄与したばかりではなく、雇用の創出といった地域経済とも深い関わりを持ち、今後においても安定した発展が見込まれるところである。

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