生命の基本、「食」の安全を第一に

〜食鶏肉の生産から販売まで〜

山陰食鶏農業協同組合

 


 山陰食鶏農業協同組合は、肉用鶏を扱う専門農協として、「生産者に借金をさせてはならない」、「需給バランスのリスクは農協が吸収する」という基本方針にのっとり、組合員の擁護を図りながら事業を展開し、素ひなの生産・供給から生鳥の処理・加工・販売までを行う一貫体制を確立し今日を迎えている。

 

 本事例が評価された点

 1 鳥取県ブロイラー産業の畜産基幹部門への発展、定着

 2 組合員の経営安定のための取引条件の設定

 3 肉用素ひなの生産から生鳥の処理販売を行う一貫体系の確立

 4 関連会社の設立が雇用機会を創出したことによる地域経済への貢献

 5 産直体制の整備

 6 鳥取地どり「ピヨ」の生産振興

 

 鳥取県におけるブロイラー産業発展の歴史をみると、昭和29年、淀江町(現在は米子市)で飼養されたのが最初とされている。昭和36年当時、県下の生産羽数は99万1千羽で、そのうち西部の生産量は県下の92%にあたる91万2千羽を占めていた。このことから鳥取県のブロイラー産業の発祥は西部地区であり、やがて徐々に東部・中部地区へ広がっていったことが窺える。平成16年の西部地区における生産は、県下の52%にあたる625万羽となっているが、その中核を担うのが「山陰食鶏農業協同組合」であり、農協を拠点とした事業活動が基本となっている。中でも畜産を取り巻く環境の変化に伴って生産羽数が減少する中で、依然として高い生産力を維持し続けている点は、生産者擁護を図りながら事業を拡大してきた結果であると高く評価できる。鳥取県のブロイラー生産が、全国でも有数の位置づけをもって今日を迎え、ブロイラーを鳥取県畜産の基幹部門として定着させた功績は多大なものがあり、推薦に値するものと判断した。

 

1.地域の概況

 

事例の存在する米子市(平成17年3月31日、旧淀江町と合併)は、鳥取県の西部に位置し、総面積132平方キロメートル、人口約15万人の市で、古く紀元前からの歴史を持ち、遺跡も数多く発見されている。

江戸時代に城下町として繁栄し、今の「商都米子」の礎が築かれている。現在では高速道路や鉄道・空路・海路等も整備され、交通の要衝として「山陰の玄関口」の顔も併せ持っている。

地勢の大半は平坦な地形で、秀峰大山や中国山地に源を発する「日野川」をはじめとする河川が日本海に注いでいる。

道路は国道9号線が東西に、また180号線・181号線が南北に走り、高速道路の米子道は落合JCを経由して山陽・京阪神へと通じている。鉄道はJR山陰本線と伯備線が通り、又空路は米子空港から国際便として韓国のソウルを結んでいるのをはじめ、東京・名古屋・福岡を結ぶ国内便が就航し、交通の利便性は高い地域にある。

産業別就業者数は、第一次産業(5.3%)、第二次産業(26.0%)、第三次産業(68.6%)となっており、第三次産業にシフトした産業構造となっている。

農業地域類型では、旧米子市が都市的地域に、旧淀江町は平地農業地域に類別され、米・白ねぎ・葉たばこを中心に県下農業産出額の12%を産出し、中でも白ねぎは県下一の生産高を誇っている。

畜産は42戸(全畜種)で営まれ、県下畜産産出額の8%の生産にとどまっているが、特筆すべきは市町村別農産物産出額の順位で、事例の存在する旧淀江町においては、「ブロイラー」と「とりヒナ」が一位と三位の上位にランクされ、ブロイラー産業に突出した生産構造を呈している。



2.活動目的と背景

 

農協設立前後の食鶏事情

  昭和30年、廃鶏の処理販売業を始めた当時、肉用専用鶏はなく食用鶏といえば採卵鶏の廃鶏が主流であり、取引形態も生鳥取引が一般的に行われていた。また、現在のような大規模な専業経営者はなく、庭先や軒下で小羽数を飼育し、採卵を主目的とし後に食用としていた時代であった。これらの農家に廃鶏を求めて訪問し,集鳥・販売をしていたが、このことが後の農協を設立する農家との出会いとなっている。

 

生鳥取引からと体取引へ

 廃鶏の買い付けを行いながら、自らも卵肉兼用種である横斑プリマスロックの雄雛を仕入れ、食肉用目的だけで飼育(国内でも最初と思われる)を行っていたが、生鳥出荷(大阪まで列車輸送)であったため体重の目減りが大きいという問題を抱えていた。そこで、現在のと体流通について提案したが、京都の得意先を除き、当時耳を傾ける者はいなかった。

 

流通形態の変化

  流通形態の主流はやがて生鳥からと体へと変化し、生産農家は直接生鳥を出荷することができなくなり、処理場を経由することとなる。その一方で取引単価は生鳥取引より決して有利な状況ではなかった。

 

農協設立の契機

  この流通形態の変化に伴って、飼料等の仕入れを有利に行い、生産性の向上を図りたいと考える農家の機運が高まり、当時生産・処理を行っていた「村上古志夫」が中心となって、山陰食鶏農業協同組合が誕生することとなった。

 

農協運営の基本

農協を設立したころは、肉用鶏の飼育管理技術が確立されておらず、また防疫や衛生管理に対する認識も乏しかったこと等から生産性が低下し、組合員の中には負債を発生させてしまうという事態が生じた。農協はその負債を抱え込むこととなったが(負債はその後解消した)、この時の経験から得られた考え方が、その後の農協運営の基本理念として生かされ、今日まで変わることなく守りつがれている。



3.活動内容


1)具体的な活動内容等


  ・農協運営の基本

*生産者に借金をさせてはならない

*需給バランスのリスクは農協で吸収する

  生産コストには飼料が大きなウエイトを占めている。本来、飼料原料事情による価格変動は、生産農家にとって受け入れ難いものである。飼料価格が値上がりし、需給バランスが崩れた場合には、費用が増大し農家収入は減少する。結果として経営不振に陥り、安定生産が見込めなくなるおそれが生じる。逆に、飼料が安く相場が高ければ農家の収入は多くなるものの、それは自らが努力した結果ではなく、外的な要因によってもたらされたものである。本来農家収入は、外的要因によって左右されるのではなく、生産性によって増減すべきである。そこで、農家が安心して生産に取り組め、しかも農協としても一定の数量を確保するという両面から、次のような対策を講じることとした。

 

取引条件の設定

生産に必要な飼料は、年間を通じて一定価格で供給する。

生産者からの生鳥買い取り価格は、年間を通じて固定する。

この条件は、現在でも採用されており、こうすることで農家には飼料価格や食鶏価格の変動に関係なく生産に取り組むことができる環境が整備された。また、農協にとっても数量の確保がもたらされることとなった。

 

素ひなの安定供給体制の整備

当時は、他社から横斑プリマスロックの雄雛を仕入れ、農家に供給していたが、農家が安定生産を行うためには、素ひなの安定供給が必要不可欠である。そこで昭和40年、農協に種鶏・孵卵部門を設立し、素ひなの供給を始め、数量および品質の安定を図った。この時導入した種鶏用雛は、当時まだ希であった外国の肉専用種であった。

なお、この種鶏・孵卵部門は、生産羽数の拡大につれて逐次整備され、現在、年間700万羽の素ひな供給能力を有し、もちろん100%を自給している。

 

生産と販売のバランスの確保対策として

生産と販売とのバランスをとることは簡単ではなく、計画通りに調整することは難しい。また、販売に際して一定の数量を確保しなければ、商売としての信用も失墜する。しかし、農家に鶏舎増設等の設備投資を強いることもできないことから、昭和43年、農協直営の生産農場として「山陰畜産(株)」を設立し、生産と販売の調整弁的機能を持たせることとした。なお、この会社は将来予想される生産者の高齢化を見込んで設立したものである。

営農指導の強化

  取引条件の設定により、生産農家にとって飼料や食鶏価格の変動に関係なく安定して生産する環境は整備されたものの、飼養管理技術・衛生管理技術については確立されていなかったため、この課題に対する解決策が求められていた。

  そこで農協では、専門に技術指導等を行う技術者(獣医師)を配置することとし、営農指導体制の強化を図った。

  また、昭和48年には技術者(獣医師)を1名増員して試験鶏舎を建設し、ワクチンの効果的な投与試験をはじめ飼養管理に関する各種試験を行い、得られた結果を生産指導に生かす等の対策を実施した。この技術者2名を中心とした生産指導体制は現在でも維持されている。

 

ひなの雌雄鑑別による鶏舎の有効利用等への工夫

  生産羽数のうち約20パーセント弱は小物(35日令)として取り扱われ、すべて雌を対象に鶏舎を区切って飼養している。こうすることで鶏舎の有効利用を図るばかりでなく、出荷労力の軽減、単位当たり重量の確保や多様な商品の仕向けにも対応が可能となる等の効果がみられている。

 

販売体制の拡充

生産者が飼養した健康な生鳥を処理し、農協の責任において販売し農家に利益を還元するという原点にたち、昭和41年、「山陰ブロイラー販売(株)」を設立し、以前から取引のあった大阪を中心に小売店での直販体制を整備した。ピーク時には25の直販店を構え、生産量の80%を販売した。その後流通事情の変化もあり、直販店から卸し売りへとシフトし、生産量の増加とも相まって、昭和48年東京へ進出することとなった。

 

生鳥処理方法の変化

今では当たり前になっていると体出荷や解体(正肉)出荷は、当時としては全国的にも珍しく、画期的な取り組みとして流通上の隘路の解消にもつながることになった。

 

より高品質な製品を目指して

  食品産業に携わるものとして、製品の安全性は第一に考えねばならない。「生命の基本は食にあり、食の安全を第一に」との認識のもと、全国に先駆け、エアーチラーユニット(空気冷却装置)をいち早く導入する等、より高度で安全な製品作りにつとめている。

 

鳥取地どり 「ピヨ」 の維持生産

  鳥取県中小家畜試験場で作出された地鶏の維持増殖を図る一方、コマーシャル鶏「ピヨ」を希望する農家に供給してその普及につとめ、鳥取県の養鶏振興および畜産物の地産池消の一端を担っている。

  また、地どり協議会(副会長)の一員としてその振興に寄与している。

 


2)実施体制


 

山陰食鶏グループの組織体制(平成16年度)

 

                             指導

 

 

 

        飼料・素ひなの供給

        及び技術指導            生鳥の

          飼料 35,038トン        引取り

          素ひな 581万羽       567万羽

 

                                      種卵の生産と孵卵

                                      素ひなの供給

                                      飼料の供給

                                      生鳥の引取りと処理加工

                                      組合運営の統括

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4..活動の年次別推移


 



 

年 次

活 動 の 内 容 等

         

課題・問題点等

昭和 30

     31

     33

     35

 

     36

     40

 

     41

     43

     44

     45

 

     46

     48

 

 

     49

     50

     51

     52

     53

 

 

     54

      55

 

     56

     57

 

     59

     61

平成 元

     

      

平成   4

     11

     13

     14

     15

 

 

廃鶏の処理販売業開始

ブロイラーの飼育・処理販売開始

山陰食鶏()設立

山陰食鶏農協設立

 

食鶏処理業開始

種鶏孵卵事業開始

山陰食鶏()()村上商店合併

山陰ブロイラー(株)設立

山陰畜産()設立

養鶏団地造成、飼料ストックポイント設置

処理場の増改築

鶏糞処理施設新設

種鶏場4棟増設

東京世田谷に進出

試験鶏舎新設

大山町岸本町に養鶏団地建設

種鶏場、孵卵場の増設

淀江町にウインドレス鶏舎建設

種鶏場増設(ウィンドレス)

食鳥処理施設新設

居o雲畜産養鶏団地造成

大阪中央食品卸売市場へ進出

飼料ストックポイント増設

孵卵場1棟増設

三吉養鶏団地造成

発酵鶏糞処理施設導入

食鳥処理施設増設

孵卵機1台増設

発酵処理施設増設

種鶏育成施設設置

三吉団地増設

種鶏場移転整備

  〃

処理施設新築

鳥取地どりの飼育

組合長叙勲受章

鶏糞ストックヤード建設

登録商標取得

地どりのJAS認定

 

 

食肉用目的での飼養

飼料販売業を始める

組合員53名

処理能力3,000羽/

京阪神へと体出荷が始まる

素ひなの供給始める

飼料及び食鶏処理販売

京阪神に直販店22店舗設置

直営生産農場

2地区、1カ所

処理能力8,000羽/

 

収容羽数 12,000羽

拡販体制の強化

飼育管理指導の拠点化

飼養羽数 336,000羽

孵卵能力 20万羽/

24棟 292,000羽

2棟    9,000羽

処理能力 15,000羽/

収容羽数 132,000羽

販売の強化

1基

孵卵能力 40万卵/

10棟 104,000羽

環境対策に対応

処理能力 20,000羽/

孵卵能力 10万卵

 

4棟 22,000羽

7棟 93,000羽

 

 

処理能力 23,600羽/

大山シャモとして販売

勲五等瑞宝章

 

「大山」

「鳥取地どりピヨ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



5.活動の成果・評価


1)活動成果の内容


 鳥取県ブロイラー産業の確立

ブロイラーの飼育が盛んになり始めた昭和36年の生産状況は、「鳥取県の畜産」の記録によれば、県全体で99万1千羽が生産され、6カ所の処理場で処理された後、その大半は京阪神へ(97%)と体出荷され、県内向けの出荷はわずか3万羽であったと記述されている。このうち、山陰食鶏農協の生産は35万羽でそのシェアは35%であった。

その後、鳥取県での生産羽数は、生産地を東部・中部へと広がりを見せながら年々飛躍的な拡大を続け、昭和49年に1千万羽の大台を越え、昭和56年に過去最高の1千550万羽を生産する一大ブロイラー産業として発展してきた。その背景には、出荷先である大消費地の荷受業者からの不当な価格操作や圧力に対抗し、自らの販売店を消費地に開設し、有利販売体制を確立したことが大きな要因となっている。

平成15年の生産は、畜産を取り巻く環境の変化等もあって、1千200万羽の生産(このうち山陰食鶏農協の生産は、およそ半分の600万羽)となっているが、それでもこの数字は全国生産量の10位に相当し、全国有数の生産県であるとともに、鳥取県畜産の基幹部門として定着している。

 

農協を中心としたインテグレーション

ブロイラー業界は、素ひなの生産から飼料の供給、生鳥の処理加工・販売等の生産から販売までが統括されたいわゆる「インテグレーション」化した形態で進展してきた。鳥取県の実態も例外ではないが、その組織は農協系によって成し遂げられてきたという特徴を持ち、当該農協がいち早くその体制を確立した。山陰食鶏農協組合長は、「結果として生産から販売まで手がけることとなり、きしくも現在のインテグレーションの先駆けとなった」と述懐している。

 

利益は生産者の元に

素ひなの生産から生鳥の処理・販売を手がけるに至ったのも、品質の高い素ひなを自ら生産し、自信を持って生産者に供給し、生産者が育てた健康な生鳥を高品質な鶏肉に処理・加工し、消費者から高い評価を得ることでその利益を生産者に還元したいとする発想からであった。その行動は、決して利益の追求を優先したことによるものではなく、自らの経済活動の責任を他人に転嫁しないように配慮した結果によるものであった。

 

販売体制の変化

大阪を中心に直販小売店を設置して有利販売を行ってきたが、やがてスーパーマーケット等量販店の進出によって商店街での集客力が落ち込み、売上額が減少することとなった。生産が拡大する一方で、農家の生産したものを農協で責任を持って販売できなければ生産する必要はなく、それでは組合員農家を守ることはできない。そこで新たな市場として、大阪より市場規模が大きく、しかも取引単価が高いことから輸送費を考慮しても利益が見込める、東京市場への進出を決断した。

結果として、大阪市場での販売規模は縮小した。現在の取り扱い高は、東京53%、大阪39%、その他8%となっている。

 

雇用機会の創出

農協事業の拡大・進展に伴って、農協出資100%による関連会社を次々と設立してきた。このことで雇用の機会が生まれることとなった。

職員の採用に当たっては、地元の人を優先して採用し、関連会社で働く従業員数はピーク時で400人を数えるまでに至り、地場産業として地域経済の活性化に貢献してきた。

現在では、機械化・合理化等によって従業員数は減ったものの、農協を中心に250名の従業員を雇用している。

 

全国を対象に

組合長である「村上古志夫」氏は、山陰食鶏グループの代表者として事業の拡大・進展に努力する傍ら、鳥取県養鶏関係団体等の役員に就任している。同時に、 ()日本食鳥協会副会長等全国組織の役職に就任し、その指導力によって全国を対象としたブロイラー産業の発展に貢献している。このことが、鳥取県ブロイラー産業の発展に大きく寄与していることは見逃せないところである。

こうした功績が認められ、平成11年「勲五等瑞宝章」を受章したことを付記する。

 


2)成果を現す指標


 生産羽数の推移と製品等の地域別出荷割合

(単位)生産羽数 千羽 出荷割合  %

年  次

S 35

40

45

50

55

60

2

12

16

生産羽数

840

1,200

2,000

4,000

5,500

6,000

6,294

5,807

5,518

5,688

出荷先別割合

大阪

75

80

80

70

55

50

50

45

44

39

東京

 

 

 

20

40

45

45

50

51

53

その他

25

20

20

10

5

5

5

5

5

8

参考 農協設立 昭和35年 

 東京市場への進出は、昭和48年

 
(3)今後の課題


 当農協は、生産から処理・販売までの一貫体系を確立してきた。今後はこの体系をベースとして維持発展させることが大きな課題だと認識している。

よりよい製品を目指して

近年、食の安全性をめぐり、企業責任や消費者への信頼が厳しく問われている。食品産業に携わる者としては、この課題への対応は避けて通れない永遠の課題であると認識している。

当農協は、「生命の基本は食であり、食の安全を第一に」との認識に立ち、安全性の追求と品質の向上に努めてきた。この考えは今後においても変わることなく、食生活に貢献する企業として、人と自然のふれあいから生まれる食の原点を見つめ続け、よりよい製品の生産と供給につとめることとしている。

 

大山をキーワードとした地域振興への貢献

平成時代に入り、当農協の製品に地元の「大山」を冠した商品名(商標登録済み)に変更して販売を行い、近年若干その知名度も上がってきた。

大山は、鳥取県を代表する観光地として多くの観光客が訪れている。製品に「大山」の冠名を付し、その名に恥じないよりよい製品を消費者に提供することで、大山をはじめとする鳥取県の豊かな自然環境が理解され、地域の振興に貢献できるよう、今後とも努力していきたい。




6.普及にあたっての留意点

 


 組合員と農協との良好な関係の維持

当該事例は、肉用素ひなの生産から、生鳥の処理・加工・販売までの一貫体系を、農協が中心となって確立した事例である。その確立に至った過程の背景には、いつも生産者に対する利益の還元を優先する農協の基本方針が終始貫かれており、環境変化に応じて農協が組合員や消費者のために何をすべきかを常に考え、運営してきたところにポイントがある。

従って、今後とも農協を中心に生産を維持しながら、販売を確保するという観点から、両者の関係を良好に保っていくことが前提となる。

しかしながらその一方で、自助努力ではどうすることもできない国際化をはじめとする外的要因があり、これらの条件変化に対処しつつより高品質で安全な商品開発等に取り組んでいかなければならない。更には近年、BSEや高病原性インフルエンザの発生等を契機に、食品の安全性が大きく問われるようになり、消費者の食品に対する安全・安心志向が高まっている中で、生産者との良好な関係を維持しながらこれらの諸課題に対応していく必要があり農協の果たすべき役割はますます大きくなっている。

また、当該事例は、取扱高の拡大に伴って雇用機会を増大させ、地元を中心に従業員を採用して地域経済の活性化に少なからず寄与してきた。こうした地域経済への波及効果の発揮という観点から当組合の活動を積極的に評価することが重要である。

さらに、「大山」ブランドの消費者への浸透が、単に鳥取県のブロイラー産業の発展に寄与するばかりでなく、地域全体のイメージアップにつながるものであるとの観点を持つことも大切なポイントである。

以上のような観点を重視しながら組合活動を展開することにより、農協の運営方針である生産者に軸足をおいた経営がいっそう発展していくことになるものと思われる。

 

7.活動に対する受益者等の声(評価)

 


 

氏名

所属・属性

声 (評   価)

岩佐孝雄

 

 

取引先

()鳥 政

代表取締役

半世紀前の昭和30年はじめ、オート三輪に廃鶏を満載した男が先代の元に買って欲しいと訪ねてきた。その男が村上古志夫(現山陰食鶏農協組合長)氏であった。「今まで大阪へ売っていたが、買い叩かれて採算も何もあったものではないので、新たに販売先を考えねば・・・」とのことであった。

先代政一郎と話し合いの回を重ねる毎に将来の展望等、そのユニークな発想に共感し取引が深まってきた。当初の廃鶏のみならず、食用若鶏(当時ブロイラーとは言っていなかった)の販売へと広がりをみる様になった。

 当時、消費地は大変な人手不足で困惑していた。そこで、全国的にも殆ど例のない産地でのと体処理に踏み切って貰うようお願いし快諾を得、取引が拡大していった。

 昭和32年に先代が死去したが、取引は途切れることなく継続している。毎年初めに行っていた年間計画の話し合いの中で、村上氏の「京都〜下関までの間に2カ所しか無かった処理場が、米子近郊に雨後の竹の子の如く乱立し先行き不透明となり、他所にない何かを考えたい」との提起により、全国的にも珍しい若鶏の解体(正肉)出荷に踏み切った。

 その後、ピッグサイクルと同様に食鶏にも大変な暴落の波が幾度となく訪れたが、その波に呑まれることなく、今に至っている。現在の日本ブロイラー業界のパイオニアとして、()日本食鳥協会の副会長を永年勤めていただいたのは当然であり、山陰食鶏農協と取引させていただいていることは、当社のみならず業界の誇りでもあると考えている。

 

8.事例の特徴や活動を示す写真

 


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