
・農協運営の基本
*生産者に借金をさせてはならない
*需給バランスのリスクは農協で吸収する
生産コストには飼料が大きなウエイトを占めている。本来、飼料原料事情による価格変動は、生産農家にとって受け入れ難いものである。飼料価格が値上がりし、需給バランスが崩れた場合には、費用が増大し農家収入は減少する。結果として経営不振に陥り、安定生産が見込めなくなるおそれが生じる。逆に、飼料が安く相場が高ければ農家の収入は多くなるものの、それは自らが努力した結果ではなく、外的な要因によってもたらされたものである。本来農家収入は、外的要因によって左右されるのではなく、生産性によって増減すべきである。そこで、農家が安心して生産に取り組め、しかも農協としても一定の数量を確保するという両面から、次のような対策を講じることとした。
・取引条件の設定
生産に必要な飼料は、年間を通じて一定価格で供給する。
生産者からの生鳥買い取り価格は、年間を通じて固定する。
この条件は、現在でも採用されており、こうすることで農家には飼料価格や食鶏価格の変動に関係なく生産に取り組むことができる環境が整備された。また、農協にとっても数量の確保がもたらされることとなった。
・素ひなの安定供給体制の整備
当時は、他社から横斑プリマスロックの雄雛を仕入れ、農家に供給していたが、農家が安定生産を行うためには、素ひなの安定供給が必要不可欠である。そこで昭和40年、農協に種鶏・孵卵部門を設立し、素ひなの供給を始め、数量および品質の安定を図った。この時導入した種鶏用雛は、当時まだ希であった外国の肉専用種であった。
なお、この種鶏・孵卵部門は、生産羽数の拡大につれて逐次整備され、現在、年間700万羽の素ひな供給能力を有し、もちろん100%を自給している。
・生産と販売のバランスの確保対策として
生産と販売とのバランスをとることは簡単ではなく、計画通りに調整することは難しい。また、販売に際して一定の数量を確保しなければ、商売としての信用も失墜する。しかし、農家に鶏舎増設等の設備投資を強いることもできないことから、昭和43年、農協直営の生産農場として「山陰畜産(株)」を設立し、生産と販売の調整弁的機能を持たせることとした。なお、この会社は将来予想される生産者の高齢化を見込んで設立したものである。
・営農指導の強化
取引条件の設定により、生産農家にとって飼料や食鶏価格の変動に関係なく安定して生産する環境は整備されたものの、飼養管理技術・衛生管理技術については確立されていなかったため、この課題に対する解決策が求められていた。
そこで農協では、専門に技術指導等を行う技術者(獣医師)を配置することとし、営農指導体制の強化を図った。
また、昭和48年には技術者(獣医師)を1名増員して試験鶏舎を建設し、ワクチンの効果的な投与試験をはじめ飼養管理に関する各種試験を行い、得られた結果を生産指導に生かす等の対策を実施した。この技術者2名を中心とした生産指導体制は現在でも維持されている。
・ひなの雌雄鑑別による鶏舎の有効利用等への工夫
生産羽数のうち約20パーセント弱は小物(35日令)として取り扱われ、すべて雌を対象に鶏舎を区切って飼養している。こうすることで鶏舎の有効利用を図るばかりでなく、出荷労力の軽減、単位当たり重量の確保や多様な商品の仕向けにも対応が可能となる等の効果がみられている。
・販売体制の拡充
生産者が飼養した健康な生鳥を処理し、農協の責任において販売し農家に利益を還元するという原点にたち、昭和41年、「山陰ブロイラー販売(株)」を設立し、以前から取引のあった大阪を中心に小売店での直販体制を整備した。ピーク時には25の直販店を構え、生産量の80%を販売した。その後流通事情の変化もあり、直販店から卸し売りへとシフトし、生産量の増加とも相まって、昭和48年東京へ進出することとなった。
・生鳥処理方法の変化
今では当たり前になっていると体出荷や解体(正肉)出荷は、当時としては全国的にも珍しく、画期的な取り組みとして流通上の隘路の解消にもつながることになった。
・より高品質な製品を目指して
食品産業に携わるものとして、製品の安全性は第一に考えねばならない。「生命の基本は食にあり、食の安全を第一に」との認識のもと、全国に先駆け、エアーチラーユニット(空気冷却装置)をいち早く導入する等、より高度で安全な製品作りにつとめている。
・鳥取地どり 「ピヨ」 の維持生産
鳥取県中小家畜試験場で作出された地鶏の維持増殖を図る一方、コマーシャル鶏「ピヨ」を希望する農家に供給してその普及につとめ、鳥取県の養鶏振興および畜産物の地産池消の一端を担っている。
また、地どり協議会(副会長)の一員としてその振興に寄与している。

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